全ては数十秒の為に
これはマツダスピードでエンジン屋に戻っていた頃のお話です。
写真が見つからず文字ばかりで読みづらいかも。

エンジン屋って言っても色々ありまして、ただ組みバラシするだけのルーティンワークから、チューンの企画(こんな特性のエンジンを作ろう)、設計(畑違いだが、人が居ないのでクランクシャフトまで描いたゾ)、手配(この部品が得意な加工屋は何処だ?)などなど。
それにも増して重要な仕事に、作ったエンジンのセッティング出しがあります。カムプロフィールの選定や吸気系レイアウトなどの企画の初期段階もセッティングの範疇に入りますが、ここでは組み上がったエンジンを実戦させるまでに閉じて話します。
まずエンジンダイナモ(エンジン単体で回して負荷を掛けトルクを計れる)に載せ慣らしから始めます。この頃は既にすっかり電子制御の時代だったので、制御盤の前にはパソコンを据えてミクスチャー(空気と燃料の割合)を調整しながら徐々に回転数と負荷を増やしつつの慣らしです。
次いでマッピングと言う作業です。エンジンには様々な負荷状態があり、アクセル軽めで低回転、アクセル踏み込んだ低回転、アクセル軽めだが高回転、低回転からレブリミットまでの全開など、極端に言うと個々のエンジン毎に違った燃料と点火時期を要求します。夫々の特性に対応するために、一般に256個以上のポイントに分けて調整できるようにしたのがECUと言われるエンジンコンピューターな訳です。点火と燃料で最低512箇所、その他に始動時や加速状態、減速状態でも違ったセットアップ項目があり、果ては燃料ポンプやアイドル制御バルブ、ターボの過給圧制御までECUに任されています。この膨大な(未だにそう思う)項目の中から、順番と優先度を鑑みつつ設定を進める作業をマッピングと呼ぶのです。大自動車メーカーでは一つのモデルについて1チーム5人ばかりが付きっ切りで4年間、アラスカの極北から灼熱のアリゾナ砂漠まで出張してセッティングしまくった結果が皆さんの普段の足となっている自動車なのです。
当時の私のようなモータースポーツ専門だと話は遥かに単純で、要は現場で始動できて、競技に使う或る意味狭い範囲のセッティングが出ており、取り敢えずゴールまで所期の性能を維持できれば良いだけです。しかも多くの場合は現場まで出張ってその場の環境に合った変更を加える事も可能です。
しかーし、ソレはソレで即興的なヤマ感やら想像力が必要だよってのが今回の御題でして、ここまではソノ前振りなんです。(クドイなぁ)

ある年の後半、もうシーズンも終わりかけの10月頃だったか。マツダスピードの親会社方面から依頼が舞い込みました。「全日本ダートトライアルでサポートしている国政選手のエンジンがヘタっているので面倒見てくれ。残すはオールスター戦だけだが間に合わせてやってくれ」だそうです。早速エンジンと周辺パーツを送ってもらい、リビルド(消耗した部品を交換して組み直す)したり、タービンの軸受けがガタだったのを修理に出したり。で、組み上げてダイナモに掛けマッピングすると。ここまでは流れるように進んで予定通り本番の10日くらい前にチームへ引き取られて行きました。チームはイソイソと車体に載せて試走に行ったのですが、帰ってきたコメントは思わしくありません。「まぁ確かにリフレッシュして元のパワーに戻ったが、オールスターに勝つには何か足りない。もっと上を期待していた」のだそうで。細かく聞いても漠然として分かりにくい。絶対パワーそのモノなのか特性なのか、何を求めているのかドライバー本人も分からない感じです。 本番まではもう試走の機会は無く、仕方なく予定外の出張でオールスターの現場、広島県の高田までPCやら機材一式を抱えて一人で行くハメに。
国政選手は当時ファミリアターボで全日本C3クラス(改造クラスの一番上)に参戦していましたが、ランサーやインプレッサに勝てずに低迷したシーズンを送っていました。当然会場に行っても注目度はイマイチ、他の優勝候補に比べ取材も控えめ。私もソノ流れは知っていたので醒めた感じです。
イベントは土曜からですが、ダートラの性格上あまり練習走行をさせると路面が荒れて本番に支障を来たします。よって練習日と言っても数キロある本コースのホンの200m程を一回走れるに過ぎない。これではセッティングと言っても出来る事は無いに等しく、もっと走れると思っていた無知な私は何も出来ぬまま午後の待機時間に入ってしまいました。もう明日の本番まで何処も走れません。試走では、狙ったブーストまではきちんと上がっている事、ミクスチャーも外れていない事、だけどヤッパリ物足りない事が分かっただけです。つまりメインのセッティング項目では現場で出来る事は何も無く、ただ味付けの部分を僅かなドライバーコメントとヤマ感だけで変更するしか残されていません。それとて外れると壊さないまでもタイムを失ってしまいます。これには困りましたね。腕をこまねいている訳にも行かず、チームの冷たい視線の中なにかを成さねばなりません。
途方に暮れてシートに収まり、エンジンを始動して空ブカシさせてみます。ん?僅かだが初期のツキが悪いかな?「ン・パーン」って感じで少しだけタイムラグを感じます。しかし、この競技用エンジンを触ったのは初めてであり、ターボ付きでコレが普通なのか悪いのかすら分かりません。まして空ブカシのコノ領域を改善した所で実走で役に立つとは思えません。しかし静止したままで出来る事も他に思い付かず、取り敢えずこの現象を潰すのに集中する事にしました。
メインマップのコノ領域を弄っても実走に繋がらない事は明らかですが、先ず合っている事を確認しないと先へ進めません。当時使っていたECUはマップデータがROMという直接書き換えが不能なチップに格納されており、一々書き込み機材で焼いたチップを差し替えねばアドレス一つ変えられないってぇ不便な代物でした。PCからROM焼き機材に変更したデータを転送し、山ほど持参したチップに焼き、ECUのチップを差し替える。この作業を延々と繰り返すだけで気が滅入ってきます。終いにはチップが足りなくなり、イレーサーという消去機材にチップを並べ紫外線を照射して中身を消すなんて原始的かつ時間のかかる作業まで。やっとの思いでメインマップを確認し、現状がベストである事が確信できても例の「ン・パーン」は変わりません。残されたのは加速増量と言われる一連のパラメーターだけです。キャブに詳しい方には分かりますが、加速ポンプなるデバイスと同じ働きをするモノで、定常回転に比して加速状態では余分な燃料を要求するのを補う部分です。
コレまた試行錯誤で山のように駄目ROMを作っては空ブカシの繰り返し。何種類かある加速増量の項目の中で、ドライバーのアクセル踏み込み速度から加速状態を判定する部分に至って僅かながら改善が見られました。「ン・パーン」が「ゥ・パーン」になった感じと言えば分かるかな?
初めての改善に気を良くし、更にその方向で駄目ROMを量産します。良し悪しの揺らぎを繰り返しながらも徐々に「ン・パーン」→「ゥ・パーン」→「ゥパーン」と変化し、やがてマズマズ「パーン」と付くようにまでなった所で日は暮れていました。先にも書いた通り、これが実戦で足しになるかは甚だ心もとありませんが、まずは出来るだけの事はやり尽くして終わりにしました。

明けて本番当日。午前中に一本目を走り、午後にもう一本、このベストタイムで順位が決まります。一本目、ターボだけに何処でドーンと壊れるか分ったモノではなく、相当ドキドキしながら見守ります。場内アナウンスでは刻一刻ライバル達のタイムが流れる中、我らがファミリアは無難に完走して5〜6番手。まぁこんなモノかな、と思いつつパドックに戻り車輌に駆けつけます。ドライバーは未だシートに納まりジッと下を向いていて、これは不甲斐ないエンジンに怒り心頭なのかと恐る恐る声を掛けました。「どうでした?変化無しですか?(ビクビク)」「いや、イケるな。次はイケるよ。NA並みのレスポンスになっている」
どひゃ〜〜、ビビった。国政選手は名にしおうクレバータイプのドライバーで、全てを考えずくでやっている感じです。一本目は押さえに押さえて堅く行き、当日の路面状況や車の挙動を確認して頭に叩き込み二本目に賭ける作戦のようです。 私の方はかなり肩の荷が下りてホっとしましたが、良くなったならもう一歩進めるのかキープで行くのかの選択をせねばなりません。流れとしてはもう一歩進めるべきと判断し二本目用のROMを焼き、差し替えて今回の仕事は終了です。後は結果を見届けるしか出来ることが有りません。
二本目、最下位からスタートなので5〜6位と言えば結構あとの方です。一本目でミスって順位が思わしくなかった本命系の車輌が次々とタイムアップしてゴールして行き、午前の我々のタイムではかなりの下位に沈みます。国政選手スタート。私が見ていた高速コーナーでは各車派手なドリフトで抜けて行き、直後のヘアピンの進入をミスしてタイムロスが多い中、彼は地味ィ〜なニュートラルで抜けてヘアピンを見事に小回りして立ち上がってゆきました。速いんだか遅いんだか分らない走りでゴール。場内放送は暫定トップ、しかも2位以下を相当チギっている事を告げています。
思わずガッツポーズが出ますが、あと数台の結果待ちです。それを見る事無くパドックに取って返し、ドライバーから問題無かった事の確認をします。その中でも刻々とアナウンスされる後続車のタイムは何れも国政車に届かず、ついに迎えた一本目トップの最終車輌がゴール。届きませんでした!
一斉に勝利を喜び合う顔が周りに溢れ、プレスもコメントを取りに駆け寄って来ます。本命視されていなかっただけに結構な盛り上がりでしたねぇ。

以上が私の経験上セッティングで一番激変した事例です。何にせよエンジン生かすも殺すもセッティング次第ってぇ一席でした。