設計屋の美意識?
今回は珍しくストレートな技術系のおはなし。ヒネリもオチも何もありません。(^^;

ナゼか私は学生時代から図面っちゅーのが好きで、描けもしないうちから複雑(そう)な図面を眺めてはウットリしていました。今になって思い返すと、ご幼少のミギリから鉄人28号(歳バレ^^;)の絵を描くにも「せっけいじゅ〜」と称して出鱈目な内部構造を描いていましたから、根は深いのかも...
内燃機関工学の講義で単気筒エンジン一式の設計などという美味しい課題が出た時は、嬉々としてディスモドローミックエンジンを描くことに決めたものの、閉塞側のカムシェープを描く方法が判らず自爆寸前だったなぁ。(遠い目..)

学生の頃はCADはまだ一般的ではなく、学部にも有ったのか無かったのか。必然的にドラフターによる手描きで授業は進み、学生は半強制で個人用ドラフターを買わされるのでした。

*** CAD:こんぴゅーたー えぃでっど でざいん/電算機支援設計? コンピュータで図面を扱う行為全般を指す。と思う。^^; 要はパソコンで図面を描く事と思ってもらって良い。扱える概念が2次元と3次元に分かれる、マトモな3次元CADは超高額 ***
*** ドラフター:ぢつは武藤工業の登録商標であるが、余りに一般的なので製図機械の通り名になってしまった。リンクやレールを使って平行線や角度線を引けるようにした製図板 ***

で、自分である程度描けるようになった後はネタを見つけてはシコシコ描くのですが、実際に現物が出来上がるまでやるワケではないのでイマイチ盛り上がりに欠けたなぁ。
そんな訳でレースギョーカイに就職した後もず〜っと手描き一辺倒、たまに見かけるようになってきたCAD図面を見ても「なんか冷べたい感じ」がしてウットリ感が薄かったですね。つまり私は図面を絵画として“鑑賞”してしまう変なヤツだったのです。

鑑賞の対象から実際にメシの種となったのは実はずっと後で、マツダ787Bの設計をやるハメになった時です。自分で描いた紙切れから手に取れる実体が出来上がってくる不思議さ、喜びはとっても新鮮な感覚でした。現場で工作機械を操り加工する方とは面識も無い場合が殆どですが、図面の基準面の取り方、寸法の入れ方一つで出来が良くも悪くもなる。未熟な図を描くと加工屋にナメられ、気が利いた図なら多少の無理も通る。この辺のあうんの呼吸が会話チックでナカナカに刺激的。
当時もまだCADは無し。まず直されたのは“見栄えのする”図面を描く手法でした。「寸法線の直線部分はごく薄くて良い、反して矢印部分は濃く鋭角的に」「細線と太線の差(コントラスト)を大きく」
タッタこれだけの事で、どこか素人臭かった自分の図面が見違えるほどプロっぽくなったのに驚いたものです。
そしてこの頃でもまだ「手描きの方が美しい」と思っていました。CADは生産性は上がる(らしい)が描き手の個性に欠ける..と。そして呑み友達だった元の無限・設計の先輩にこの考えを投げてみました。彼は完全にCADの人だったのですが、即座に「そうじゃない」と言います。「CAD図面でも見ただけで誰の図だかは分かるものだ。3面図のレイアウト、寸法の入れ方、カットラインの入れ方などでハッキリ個性が出る」「手描きが下手なヤツはCADでも下手だ」
これには目から鱗がボロボロ落ちましたね。そうか、CADでも描き手が良ければ美しくなるか。お陰でCADへの偏見は解け、ハイエンド3次元CADのデモを見ては溜め息をつく、もっと変なヤツにバージョンアップしたのです。(^^;;;

今や私もスッカリCADの人、チョっとしたスペーサを作るにも手描きのマンガよりCADで描きます。極端なハナシ、線を一本引いてしまえば後は複写したり回転したり移動したりで済んでしまう便利さを知ると、も〜う手描きには戻れません。
あとはいかに美しい図面にするか。いかに現場でミスの出ない表現にするかを考えています。私の図を読む未だ顔の見えぬ加工屋さんと対話ができる図面が描ければ、出来てくる現物は自ずと美しくなる...と思うのであります。

*** 上の図は鋭意開発中のエア噛み解消型ブレーキラインの一部品。下はアルミクランクプーリーの図面です。このプーリーは京都市で作っていますが、発注は図面をFAXで投げるだけ、何も言わずとも出来上がってきます。 ***